なにを書いたらいいか、わからないでいました。
あの日から、10日が経とうとしています。
生まれて初めて聞くアナウンサーの尋常でない声を皮切りに始まった、
ショックと恐怖と悲しみと、無力感と焦燥感と罪悪感と
不安と苛立ちがない交ぜになった、ある種異様な興奮状態。
リビングにしばらく置かれたままになっていた
3月12日の新聞1面の黒々とした上段抜きが、見る度恐ろしく、
あの日以前にはもう戻れないんだ、などと、愚にもつかぬ事を
その度考えていました。
今、少し落ち着いて、生活も仕事も普通にしていますが、
被災された方々の直面する問題がより具体的・現実的になり、
さらには原発についての不安までもが膠着・長期化しそうな様相に、
胸がふさぐ状況は変わりません。
どうか、一人でも多くの方が生き延びられますよう。
避難生活を余儀なくされている方達のQOLが1日も早くよくなりますよう。
支援活動に携わっている方々も又、充分なケアとサポートを受けられますよう。
切に願うとともに、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。